つれづれなるままに・・・meteorologist, announcer, narrator, writer : miura mayumi Officical blog.

映画

May 05, 2021

立夏 (こどもの日)


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あおる

風に

乗りながら

歩く

時に

背中

押されて

足早になる

立ち止まる...

五月五日

やんちゃな

南風、

おにごっこするよに

行き交う

者達

彼も我も

風と

戯れる日。






*立夏:春が極まり夏の気配が立ち始める頃。二十四節気、夏の季語。





☆つぶやき...
 タイトルにも惹かれていた映画『ノマドランド(NOMADLAND)』
 「ずっと身を置いていたい。。。ここに」、観ているその時間と移り変わるシーンの中に。
 と終始感じながら観ていた。
 なんだか自分(私)という者の内側を見せられたような主人公ファーンの生き方。
 人は、居を定め日々を馴染みある人々に囲まれながら生きるも、
 居を転々としながら独りで日々違う人々と交わりながら生きるも、結局はみな同じ。
 人はみな”ノマド”ランドの中で生きているそれぞれの。
 観終わったあとはほっとした、自分の人生を認めることができたようで。
 と、「See you down the road(またいつか会おう)」。
 ずっと使い続けてきた See you then!...別れの挨拶はこれにしよう、最期の時までも..。






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mak5 at 20:47|PermalinkComments(0)

July 29, 2017

村雨

201707291


真夏

洗われる

突然の雨

暑さ

洗う...

勢いづく

雨音に

真夏

夏へと

体温

下げる日。





*村雨:むらさめ。強く降ってすぐ止む雨のこと。




☆つぶやき...
 久しぶりに福島原発事故居住制限区域の風景を見る。映画「ひそひそ星」  (トロント国際映画祭最優秀アジア映画賞)の地球の近未来風景の設定であるロケ地として。
 モノクロの映像のせいじゃない、荒涼を超えて、湿度も人の体温も感じない時空間。
 4年前の初冬に同じ場所で観た枯草や雑草が広げるモノトーンの世界と家屋の骨組みだけが
 点在する住宅を記憶に焼き付けた、感覚、が蘇る。あらゆる登場人物も物も暗喩比喩で
 構成され結末も無いストーリー。
 人の記憶は感情で出来ている、感情が未来の完成品を創造する、その発露にある。
 あれから何度もシビアな気象現象に晒されても風化しようのない不動のモノクロの風景。
 風化させないのではない、風化しない、この地とあの日の記憶で有り続けることを
 全ての人に認めさせる物語でした。。。性もないのが人類だ、愛すべきだけれど...。





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mak5 at 20:51|PermalinkComments(0)

February 12, 2015

Begin ....again or new

  

  大人の心音のミュージカル...

  だわ・・・。


  自分のため、恋人とのため....だけに
  歌っていたはずの歌声が、

  あるひとつの出逢いで
  あらゆる人とのえにしや、出会う人々の関係を
  いつしか修復していく・・・。

  街角に埋もれそうになっていた
  音楽のあらゆる才能が結びついて
  爽快なキセキを起こしていきます。

  それぞれの人が奏でる音、声、そして、心が
  オーケストレイトされて
  それぞれが自らの人生の中心に還って行く。
  そんなイメージのラブストーリー。

  create....創る、ことってやっぱりいいな...
  
  音も、芝居も、人生も創り方と源は同じ。
  
  創るための
  ”一番大切なエッセンス”が
  登場人物のひとりひとりのつぶやきから聴こえて来るお話です。


  ギター1本だけの歌に
  色んな楽器がイメージの中で
  編集されていく場面には最高にドキドキした。。。

  いつものように日常の呼吸と同じくらいの自然さで
  助演を務める
  キャサリン・キーナーの存在感に心を奪われつつ、

  甘いけれど甘すぎず(soooo sweet, not too much...)で
  ちょうど良い塩梅の歌声の
  主演のキーナ・ライトレイの『Lost star』に
  忘れかけている乙女心を呼び起こされます。


  ”BEGIN AGAIN”.... something.


  観ている人の数だけの "sometning"が
  それぞれの登場人物、NYCの街角のワンシーンやその街を行き交う人々に
  見つけられることでしょう。

  BEGIN AGAIN...
  個人的には
  何度目かのagainになる私の”それ”について、
  タイムリーに背中を押してくれる作品になったような。
  
  次に観るときには
  ”それ”をクリアして
  
  begin new....
  次なる”それ”を初めている時でしょう...
  ヒロインのグレイ(K.ライトレイ)と同じように。。。


**

『ONCE』のジョン・カーニー監督の新作。
 前作の鈍色のダブリンの街と目で語る物語の
 余韻がいまだ残っていること、そして、
 大好きなNYCが舞台ということにも惹かれて
 観に行きました。
 大都会の持つpopな空気の中で繰り広げられる
 都会版onceのきゅんとくる物悲しさは、
 あの時からは変わった自分にはちょうど良い
 湿気感.....でした^^)
  
  
  
  
  

  

mak5 at 10:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

November 24, 2014

天才とは・・

想い − 妄想・空想・夢想 −に、熱を加えると・・・

 有形無形のカタチになる。



 それは”天才”と評される者達に顕著に伺える
 共通する資質の一つ。

 
 米モンタナ州、広大かつ長閑な牧場で暮らす少年が、
 慣性の法則を使った世紀の発明により
 スミソニアン博物館の権威ある科学賞を受賞・・・・。

 発明者はT.S(スパロウ)スピヴェット、
 年齢10歳、小学校6年生。

 木登りが好きで、ハロウィンのラタンが恐くて夜のお手洗いに立てない
 どこにでもいる男の子。ですが、探究心と追求心に愚直なまでに正直、
 好奇心の琴線に触れたものは、徹底して科学し結論、結果を出す天才児。
 超越した賢さは学校はもちろん、家族にも理解不能の域に達しています。

 双子の兄でもあるのですが、かたわれである弟の死をきっかけにして
 普通の子供としての心の部分は、意識の奥底で死に絶えます。
 彼のみならず、父の、母の、そして姉、それぞれの記憶と心の深い所で傷を負う出来事で。


 登場人物それぞれのエピソードの一つ一つを繋ぐ糸の役割を果たすのは、
 授賞式のあるワシントンDCに向かうための壮大なる家出、
 米大陸の西から東への大横断の旅でした。

 旅の途中で巡り会う人の言葉に表情に、彼自身の回想に、とんでも系の出来事に、
 彼の哀しみや寂しさは癒されていくのですが....。


 監督は『アメリ』、オドレ・トトゥーのコメディエンヌとしての才能も開花させた
 秀作を生み出したピエール・ジュネ氏。

 自然色だからこそ出る、豊かで鮮明な色彩風景の中で、
 T.Sをはじめとした登場人物達の心の色も、
 控え目なものの鮮やかに描き出されます。


 圧巻は、エンドロールの登場人物それぞれの一言、または表情、と言いたいところですが、


 ”....水滴の経路は....”


 授賞式後にT.Sのモノローグで語られる”水滴が持つ秘密”という科学的な事実は、
 わが心にしっかりtake noteしたフレーズです。


想いに、情熱という熱を加えると

いかなるモノも創り出せる。



 想いも情熱も創り出す力も、その化学反応を起こす力も、
 それは誰しもが持つ天から授かった才能です。


 10歳児の驚異(内容はある意味脅威なのですが...)の発明と大陸大横断、
 家族にもコミュニティーにも記憶に影を落とす事故、膨らむ空想と妄想と普通の日常と
 突飛さも平凡さも交錯しながらかつ躍動しながら、
 達者な俳優陣による、笑いと涙の数々を振りまく物語。


 終演後、静かに席を経つ観客には
 どこかしら「満ち足りた」空気が漂っていたような。
 乱れのない静かさがそれを物語っているように感じられました。


 ”天才・わたし”の想いは、はて何だったのだろう・・・

 この人生の大切な記憶を思い出すきっかけにもなる映画時間。


 ”天才○○○”
 あなたも天才・自分を探してみて下さいね。

 エンドロールの一言ひとつひとつも見逃さず、聞き逃さずに。。




main

『天才スピヴェット
 (The Young and Prodigious T.S. Spivet)』


  TS役のカイル・キャレット...可愛いすぎます。
  俳優を続けるのかしらね・・彼は。



mak5 at 11:39|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

November 09, 2014

間 (ま)

  まだ言葉というものを持たなかった時代は

  こんな感じで気持ちを通わせていたのかも・・・

  

  『The band''s visit〜迷子の警察音楽隊』

  少し前に雑誌でみかけ気になっていた映画です。
  
  国際映画祭のwowwow収録イベントで偶然
  その日の紹介作品の一つになっていたことを
  きっかけに思い出した2007年公開のイスラエル映画。

  イスラエルに招かれたエジプト・アレクサンドリア警察音楽隊ですが
  手違いからか迎えが来ない。自力で移動を試みたバスが着いた先は
  目的地とは一字違いの街ベイト・ティクバでした。

  砂漠の中にある街で過ごす一昼夜に起きる出来事の中で
  警察隊8人と街の”普通の人々”との微細な心模様が
  さびれた街の空気とともに淡々と語られていきます。


  エジプトとイスラエル。もともとは敵対する国同士ですが
  共通言語である英語を介して交わされる会話は
  おなじ人同士、人の男と女間の思いのやりとりです。


  ゆるやかな速度で丁寧な英語で育まれる会話は
  少したどたどしいがゆえに耳にも伝わる体温が温かい。

  そして

  ”間”あい....

  言葉以上に”饒舌”です。


  魅力的な男達女達それぞれ
  登場人物達の感情の微妙な動きは
  随所に差し込まれた「間」に確かに投影されています。

  沈黙の中に
  言葉を発するまでの間の時間に
  目線に、表情筋の動きに
  昼夜の影の動きに・・・


  日本映画の語りは
  ”間”にありと言われますが
  このイスラエル作品の語りも
  ”間”にあり、でしょう。

  四季あるしっとり感ある空気の中で生まれる間合いと
  乾季のみの砂漠の乾いた空気の中で生まれる間合いの違いはあれど。


  日常の些細なことから人生レベルに至るまで
  静かに展開する物語を通して語られる
  音としての言葉、間が作る言葉の語りを通して
  絶え間なくこちらの感情をくすぐってきます。


  饒舌なるまでに言葉を尽くしがちである。
  仕事柄を抜きにしても
  大都会で暮らしていると
  言葉で何もかもを伝えることに頑張ってしまうことが多いな・・・
  この作品を観ているとひとつ
  そんなことにも気づかされます。


  人がまだ言葉と言うものを持たなかった時代は
  インスピレーションで対話していたとも言われています。

  「間」合い。
  あふれる言葉を駆使するいまの時代にあっても
  その音の無い言葉が持つ伝える力の強さも
  感じられる作品。


  物語の静かな進行とともに
  自身との静かな対話も持てることでしょう。

  無駄の無い無音と生活音と音楽
  そして有音無音の言葉だけがある砂漠。

  都会も静まる冬に向かう
  これからの季節にもおすすめの映画です。
  

*『迷子の警察音楽隊』:
  第20回東京国際映画祭東京サクラグランプリ(最優秀作品賞)、
  第20回ヨーロッパ映画賞主演男優賞、ディスカバリー賞受賞。
  第60回カンヌ国際映画祭ある視点部門出品作品。


 
  


mak5 at 17:44|PermalinkComments(0)TrackBack(0)